お茶の起源は?

私たちが日常的に飲んでいるお茶の起源はとても長い歴史があると同時に今のスタイルになってからはとても短いのをご存じでしょうか。
日本でお茶が飲まれるようになったのは奈良時代から平安時代初期に中国から持ち込まれたことに始まり、茶は中国が原産地といわれ中国の飲み物として発展してきた経緯がございます。
当時、日本は先進国であった唐(中国)の文化や学問などを学び自国へ取り込もうとした中で唐で仏教や文化などを学ぶ中で、彼らは茶の存在を知り、現在の嗜好品としての茶に繋がります。

お茶が電話委した時期については諸説あり解明されていない部分が残されておりますがが一般的には平安時代初期に電話委した説が有力視されています。

当時のお茶の飲み方

茶が伝来した当初、唐で茶が薬として服用されていたように、当時の日本でも滋養強壮・体調不良回復のために飲まれていました。
当時の茶は現在のものと形式がちがい、団茶(だんちゃ)と呼ばれる、茶葉を蒸してすりつぶし固形状にして乾燥させたもので、飲むときは火であぶってから粉にして湯の中に入れ煮て飲むものでしたが、茶はとても貴重な物であったため皇族や有力僧侶、貴族階級の人しか飲むことが出来ず一般的にはあまり広まらず日本では一度茶の文化はすたれていきます。

鎌倉時代に持ち込まれ宇治茶

一度廃れてしまった茶は、1191年(建久2年)に臨済宗開祖の栄西が修業先の宋(中国)から茶の効能について感銘を受け、種として日本に持ち帰ったと言われています。同時代に活躍した華厳宗の僧の明恵(みょうえ)は、栄西から茶の種をもらい、京都の栂尾(とがのお)にある高山寺に茶を植えて栽培を始めました。これは日本最古の茶園といわれており、現在の「宇治茶」の起源ともなっています。

広がる茶の栽培と「抹茶」

鎌倉時代後期から南北朝時代には様々なお寺が茶園をつくって茶を栽培するようになり、京都以外にも広がりました。
この時「闘茶」というお茶を飲み比べ産地を当てる遊びも生まれたと言われています。
この時代で広まったお茶は碾茶(てんちゃ)や挽茶(ひきちゃ)と呼ばれるもので、茶葉を粉末状にし、湯に溶かして飲む、現在の抹茶のようなものでした。

江戸時代に誕生した「煎茶」

江戸時代になると茶は幕府の儀式に用いられるようになり、庶民にも嗜好品として茶の文化が広まっていきます。この時庶民が飲んでいたお茶は、茶葉を煎じて飲んでいました。これが現代で言うところの煎茶(せんちゃ)というわけです。

また、1738年(元文3年)に宇治の農民、永谷宗円(ながたに そうえん)により新たな製茶法が編み出され、これまで茶色をしていた煎茶が、新たな製法により鮮やかな緑色の水色を出すことができるようになと言われています。この時の製法が「青製煎茶製法」と呼ばれ急速に広まっていきました。

中国から伝来したお茶葉日本で独自の文化に発展してきた

茶が中国から伝来した当初は現在私たちが「日本茶」として慣れ親しんでいる物とは全く異なるものでしたが、日本茶の起源は鎌倉時代に宋時代の中国から栄西が持ち帰り明恵が茶園をつくって栽培した粉末状の茶「抹茶」であり、江戸時代にお茶の製法が変化し改良されたものが「煎茶」となったわけです。
つまり日本茶・煎茶という観点では鎌倉時代や江戸時代に日本で発症した文化だということが解ります。
また一般家庭で急須や煎茶が普及したのはさらに後、大正から昭和前期に近いと言われております。
こうしてお茶は日本の文化に合わせ独自に発展を遂げ現在私たちが日常的に飲むお茶として受け継がれてきています。


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